2010年3月4日木曜日

美容師になったわけ2

校長先生から紹介された店は、
 博多駅前が一軒 山口県が一軒 広島が一軒 東京が一軒

まず博多駅前へ面接.ここは女性の多い美容室だったが、3名の少年少女と一緒に全員玉砕。

山口のお店に、電話でアポ。やる気をアピールして、面接に行った。

面接は3分で終わり、そのまま寮へ連れて行かれた。夕方には、お店に立たされていた。

そこは、店舗が6店あり、佐賀の子が、卒業できなくて、欠員が出ていたらしい。

あっという間の急展開で、20歳の3月下旬に、<strong>山口県宇部市で美容師デビューとなった。</strong>

しかし、校長先生は信じてくれず、社長に、入社証明書を書いてもらい7月に卒業証書をもらう事が出来た。

後で、わかったことだが、ここは西日本では当時、かなり有名な美容師養成施設だった。

美容師向けの、カット教室も、持っていたし、社長は、カットの本も出版していた。

たまにTVにも出ていた。


7割が、男性で、<strong>国士舘大学空手部中退の方も(熊のような)いらっしゃった。</strong>

1年後、3月に入社した12名は、4人になっていた。そこでの生活は、

自衛隊の寮生活の比ではないほど厳しかった。

しかし、全てがテスト制の、システムを乗り越えて、2年後、スタイリストとして、カットに入れるようになった。


この体育会系、厳しい美容室に、はいらなければ美容師として、お店を構えることはできなかったと思う.

校長先生には、感謝している.今や、久留米の美容学校は、大きくなり昔の面影はなくなったが。

宇部の美容室の社長や、専務、また多くの先輩方にも、感謝している。

その後、東京の美容室2件で、3年ほど修行し、福岡に帰って、1年西新で働き、

平成元年に、西区での美容室オープンとなる。

その間に酒を飲むことは、ほとんど皆無だった。

酒を飲まなくてもよいという意味では、職業選択は100パーセント成功と言えるだろう。

オタクとしてもその資質を、毛髪補修の知識としての勉強へ生かせたと.自負している。

ただ、2つだけ残念なことがある。

一つは、きれいなお客さんと、頻繁に飲みに行く先輩を多く見送ったこと(美容師に酒は、鬼に金棒?)

あと一つは、その時、自衛隊の退職金の額を知らなかったことだ。(親切な同期が最近教えてくれた)

美容師にしていただいた皆さんに感謝している。

自衛隊のみんなとは、退職するころ、仲良くしようね。

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