男の美容師にとって、禿げるという事は恐怖である。
以前、『もみあげの立場』で書いたが、私はホルモン説を信用していない.
物事は、全て仮設を立てることからしか進まないので、これから書くことは全て私の独断である。
前提.年をとると皺がふえる……
前提.禿げるのは男性に多い
前提、禿げた頭は、光っている・…
前提.頭蓋骨は、赤ちゃんの時は、4つに割れている。
前提.遺跡から出る頭蓋骨の年代測定は、頭蓋骨の盛り上がりを、目安とする(男性の場合は顕著)
これより導き出される仮説は、
頭蓋骨は、身長が伸びなくなっても、大きくなり続ける。結果、頭の皮膚が足りなくなり、光りだす。
こうなると、皮膚と、頭蓋骨の間の血管は、血流が悪くなり毛母細胞が、委縮して、禿げになる。
つまり、男の禿げは、頭蓋骨が大きくなって、皮膚が足りなくなり、血管が圧迫されて、血が通わなくなる
証拠として、年をとると、皮膚が余るのに、禿げ頭だけは、皮膚がたるんでいない(光る!!)
どうだろうか、では解決策は??
2010年3月5日金曜日
2010年3月4日木曜日
青新号を渡らない勇気
お店の近くに、スクランブル交差点がある、私は青信号で渡らないという行動を
試すことがある。自分が、流されてるなと感じる時などに行うのだが、
ただ、青信号を渡らずにやり過ごすだけというう簡単さだ。
ただし、時計を見たり、人と待ち合わせたり、信号に、気づかないふりをしてはいけない。
毅然と、当然と言わんばかりに、自然体でやり過ごすのだ。
効能は、体温上昇・心地よいドキドキ感・達成感・意志の鍛錬とよいことづくめ.
うちの男性スタッフにも、好評です。
法律にも違反していないし。やりすぎると、地下鉄に遅れますので、気をつけて.
試すことがある。自分が、流されてるなと感じる時などに行うのだが、
ただ、青信号を渡らずにやり過ごすだけというう簡単さだ。
ただし、時計を見たり、人と待ち合わせたり、信号に、気づかないふりをしてはいけない。
毅然と、当然と言わんばかりに、自然体でやり過ごすのだ。
効能は、体温上昇・心地よいドキドキ感・達成感・意志の鍛錬とよいことづくめ.
うちの男性スタッフにも、好評です。
法律にも違反していないし。やりすぎると、地下鉄に遅れますので、気をつけて.
美容師になったわけ2
校長先生から紹介された店は、
博多駅前が一軒 山口県が一軒 広島が一軒 東京が一軒
まず博多駅前へ面接.ここは女性の多い美容室だったが、3名の少年少女と一緒に全員玉砕。
山口のお店に、電話でアポ。やる気をアピールして、面接に行った。
面接は3分で終わり、そのまま寮へ連れて行かれた。夕方には、お店に立たされていた。
そこは、店舗が6店あり、佐賀の子が、卒業できなくて、欠員が出ていたらしい。
あっという間の急展開で、20歳の3月下旬に、<strong>山口県宇部市で美容師デビューとなった。</strong>
しかし、校長先生は信じてくれず、社長に、入社証明書を書いてもらい7月に卒業証書をもらう事が出来た。
後で、わかったことだが、ここは西日本では当時、かなり有名な美容師養成施設だった。
美容師向けの、カット教室も、持っていたし、社長は、カットの本も出版していた。
たまにTVにも出ていた。
7割が、男性で、<strong>国士舘大学空手部中退の方も(熊のような)いらっしゃった。</strong>
1年後、3月に入社した12名は、4人になっていた。そこでの生活は、
自衛隊の寮生活の比ではないほど厳しかった。
しかし、全てがテスト制の、システムを乗り越えて、2年後、スタイリストとして、カットに入れるようになった。
この体育会系、厳しい美容室に、はいらなければ美容師として、お店を構えることはできなかったと思う.
校長先生には、感謝している.今や、久留米の美容学校は、大きくなり昔の面影はなくなったが。
宇部の美容室の社長や、専務、また多くの先輩方にも、感謝している。
その後、東京の美容室2件で、3年ほど修行し、福岡に帰って、1年西新で働き、
平成元年に、西区での美容室オープンとなる。
その間に酒を飲むことは、ほとんど皆無だった。
酒を飲まなくてもよいという意味では、職業選択は100パーセント成功と言えるだろう。
オタクとしてもその資質を、毛髪補修の知識としての勉強へ生かせたと.自負している。
ただ、2つだけ残念なことがある。
一つは、きれいなお客さんと、頻繁に飲みに行く先輩を多く見送ったこと(美容師に酒は、鬼に金棒?)
あと一つは、その時、自衛隊の退職金の額を知らなかったことだ。(親切な同期が最近教えてくれた)
美容師にしていただいた皆さんに感謝している。
自衛隊のみんなとは、退職するころ、仲良くしようね。
博多駅前が一軒 山口県が一軒 広島が一軒 東京が一軒
まず博多駅前へ面接.ここは女性の多い美容室だったが、3名の少年少女と一緒に全員玉砕。
山口のお店に、電話でアポ。やる気をアピールして、面接に行った。
面接は3分で終わり、そのまま寮へ連れて行かれた。夕方には、お店に立たされていた。
そこは、店舗が6店あり、佐賀の子が、卒業できなくて、欠員が出ていたらしい。
あっという間の急展開で、20歳の3月下旬に、<strong>山口県宇部市で美容師デビューとなった。</strong>
しかし、校長先生は信じてくれず、社長に、入社証明書を書いてもらい7月に卒業証書をもらう事が出来た。
後で、わかったことだが、ここは西日本では当時、かなり有名な美容師養成施設だった。
美容師向けの、カット教室も、持っていたし、社長は、カットの本も出版していた。
たまにTVにも出ていた。
7割が、男性で、<strong>国士舘大学空手部中退の方も(熊のような)いらっしゃった。</strong>
1年後、3月に入社した12名は、4人になっていた。そこでの生活は、
自衛隊の寮生活の比ではないほど厳しかった。
しかし、全てがテスト制の、システムを乗り越えて、2年後、スタイリストとして、カットに入れるようになった。
この体育会系、厳しい美容室に、はいらなければ美容師として、お店を構えることはできなかったと思う.
校長先生には、感謝している.今や、久留米の美容学校は、大きくなり昔の面影はなくなったが。
宇部の美容室の社長や、専務、また多くの先輩方にも、感謝している。
その後、東京の美容室2件で、3年ほど修行し、福岡に帰って、1年西新で働き、
平成元年に、西区での美容室オープンとなる。
その間に酒を飲むことは、ほとんど皆無だった。
酒を飲まなくてもよいという意味では、職業選択は100パーセント成功と言えるだろう。
オタクとしてもその資質を、毛髪補修の知識としての勉強へ生かせたと.自負している。
ただ、2つだけ残念なことがある。
一つは、きれいなお客さんと、頻繁に飲みに行く先輩を多く見送ったこと(美容師に酒は、鬼に金棒?)
あと一つは、その時、自衛隊の退職金の額を知らなかったことだ。(親切な同期が最近教えてくれた)
美容師にしていただいた皆さんに感謝している。
自衛隊のみんなとは、退職するころ、仲良くしようね。
2010年3月3日水曜日
美容師になったわけ
以前、自衛隊にいたのに美容師になったというと、必ず訳を聞かれる。
まー俺でも、聞くと思うけど.
俺は、顔がごつい(ラグビーやってた。ラグビーやる前はやさしい顔だったけど?)
しかし、酒は一滴も飲めない。自衛隊の基地の中は、売店や、居酒屋や、スナックなど、なんでもそろっていて、
しかも給料日払い。体育会系のノリもあり、
『俺の酒が飲めないのか』
は、よくある話だった。
根性のない俺は、すぐに、逃げ出すことを決意いした.(なぜだか18歳で気づいた)
久留米に帰って、車買って、仕事を探し始めたら、酒を飲まなくていい仕事は、なかなかない事に気づいた。
仕事いがい付き合いのない仕事 そう思った時、美容師になろうと決意した。
子供の時からプラモデルも得意だったし、じいさん大工だったし、手先は器用なはず。
職人として、酒が絡まないのは、美容師ぐらいだろう・・・て思った。
早速、久留米の美容学校に入学して、夜のバイトも見つけて部屋借りて、入学式に出た。
当時美容師は、中学卒業で国家資格がとれる、職業で、学校には、15歳から、42歳まで、あらゆる人たちがいた。
特に、金髪や、リーゼントの少年少女が、数多くいらっしゃった。
当然、住む世界が違うと思いつつ話もしないままに。2か月ぐらいが過ぎた。
そのころから、様子がおかしくなり、なにかともめごとが飛び込むようになった。
その少年少女たちが、(私も19歳だったのだが)
美容学校で一番喧嘩が強いという噂を流してくれたのだ.(おーまいが)
一度もけんかしたことがなくて、酒が一滴も飲めない私を .(私と、おれは、同一人物です)
見た目では、確かに喧嘩が強くて、酒が強そうに見える、
(寝起きで、鏡を見て、ビビったことがある)
格闘技や、スポーツに興味はなく、健康食品と、パソコンと。車の修理が好きなオタクなのだが
とりあえず、大人のふりでやりすごし
、1度もけんかすることなく、卒業を迎えることとなりました。
しかし、校長先生(すでに、他界された、きれいな娘がいたが?確か一つ年上の)
が、『あなたは、出席日数がぎりぎりで、成績もぎりぎりですから、きっと美容師として、やっていけません。』
・・・就職先を4つ紹介するから、その中で就職できたら卒業させましょう・・・となった(おーまいが)
すごく長くなってしまいました、考えずに書いてたもので、夜も遅くなったので続きは明日にします。
御休みなさい。
まー俺でも、聞くと思うけど.
俺は、顔がごつい(ラグビーやってた。ラグビーやる前はやさしい顔だったけど?)
しかし、酒は一滴も飲めない。自衛隊の基地の中は、売店や、居酒屋や、スナックなど、なんでもそろっていて、
しかも給料日払い。体育会系のノリもあり、
『俺の酒が飲めないのか』
は、よくある話だった。
根性のない俺は、すぐに、逃げ出すことを決意いした.(なぜだか18歳で気づいた)
久留米に帰って、車買って、仕事を探し始めたら、酒を飲まなくていい仕事は、なかなかない事に気づいた。
仕事いがい付き合いのない仕事 そう思った時、美容師になろうと決意した。
子供の時からプラモデルも得意だったし、じいさん大工だったし、手先は器用なはず。
職人として、酒が絡まないのは、美容師ぐらいだろう・・・て思った。
早速、久留米の美容学校に入学して、夜のバイトも見つけて部屋借りて、入学式に出た。
当時美容師は、中学卒業で国家資格がとれる、職業で、学校には、15歳から、42歳まで、あらゆる人たちがいた。
特に、金髪や、リーゼントの少年少女が、数多くいらっしゃった。
当然、住む世界が違うと思いつつ話もしないままに。2か月ぐらいが過ぎた。
そのころから、様子がおかしくなり、なにかともめごとが飛び込むようになった。
その少年少女たちが、(私も19歳だったのだが)
美容学校で一番喧嘩が強いという噂を流してくれたのだ.(おーまいが)
一度もけんかしたことがなくて、酒が一滴も飲めない私を .(私と、おれは、同一人物です)
見た目では、確かに喧嘩が強くて、酒が強そうに見える、
(寝起きで、鏡を見て、ビビったことがある)
格闘技や、スポーツに興味はなく、健康食品と、パソコンと。車の修理が好きなオタクなのだが
とりあえず、大人のふりでやりすごし
、1度もけんかすることなく、卒業を迎えることとなりました。
しかし、校長先生(すでに、他界された、きれいな娘がいたが?確か一つ年上の)
が、『あなたは、出席日数がぎりぎりで、成績もぎりぎりですから、きっと美容師として、やっていけません。』
・・・就職先を4つ紹介するから、その中で就職できたら卒業させましょう・・・となった(おーまいが)
すごく長くなってしまいました、考えずに書いてたもので、夜も遅くなったので続きは明日にします。
御休みなさい。
2010年3月1日月曜日
映画
今日、奥さんと映画を見に行くことになった。
オリンパスの神々と言う奴らしい
奥さんとは映画に行く機会が多い。
当然、僕に選択権はない。
日ごろから割と仲良くしているし、
一緒に働いているが、意見が衝突することもなく、
楽しくすごせてると思っているのだが。
急に『今日、映画を見に行かない?』と、仕事の終わりに、聞いてきた。
いつも会えないとか、デートという雰囲気でもないので、
映画が好きな理由を聞いたのだが、
『しゃべらなくていいから』と一言
そこから、私は無口になった。
オリンパスの神々と言う奴らしい
奥さんとは映画に行く機会が多い。
当然、僕に選択権はない。
日ごろから割と仲良くしているし、
一緒に働いているが、意見が衝突することもなく、
楽しくすごせてると思っているのだが。
急に『今日、映画を見に行かない?』と、仕事の終わりに、聞いてきた。
いつも会えないとか、デートという雰囲気でもないので、
映画が好きな理由を聞いたのだが、
『しゃべらなくていいから』と一言
そこから、私は無口になった。
赤信号をわたらない勇気
毎朝、(今は寒いのでもう少ししたら)ダイエットの為に、お店までの2キロメートルを、歩いてくるのだが、
大きい川を越えたところに、3メートルぐらいの横断歩道がある。
信号はあるが、皆信号無視してわたってしまう場所だ。
人通りは、かなりあるが、車は、ほとんど横切らない。
この、ほとんどの人が、信号無視をする横断歩道で、
信号を守るのはものすごく勇気がいることなのだ。
しかも、かなり赤信号が長い。
ここで赤信号にかかったときは、毅然とした態度で、平然と待たなければいけない。
時に年配の女性は、一緒に待ってくれる事があるが,ほとんどの人は,渡ってゆく。
その人たちの目に写る僕の姿を想像しながら、
『これは、試練なのだ』
と、丹田(たんでん)に力を入れて、乗り越えるのだ。
お店について、報告するのだが、あまり興味はなさそうである。
大きい川を越えたところに、3メートルぐらいの横断歩道がある。
信号はあるが、皆信号無視してわたってしまう場所だ。
人通りは、かなりあるが、車は、ほとんど横切らない。
この、ほとんどの人が、信号無視をする横断歩道で、
信号を守るのはものすごく勇気がいることなのだ。
しかも、かなり赤信号が長い。
ここで赤信号にかかったときは、毅然とした態度で、平然と待たなければいけない。
時に年配の女性は、一緒に待ってくれる事があるが,ほとんどの人は,渡ってゆく。
その人たちの目に写る僕の姿を想像しながら、
『これは、試練なのだ』
と、丹田(たんでん)に力を入れて、乗り越えるのだ。
お店について、報告するのだが、あまり興味はなさそうである。
人生を使い切れ
NHK竜馬伝で親父の平八(児玉清)が竜馬に伝える最後の言葉
『人生を使い切れ』この言葉にドキッとした。
それはある先輩の開店祝いの言葉
『開店、ご愁傷様です。』を、思い出したからだ。
始めてしまったから、終わりが来る。
生まれたから、死ぬ。
与えられた時間に限りがあるからこそ、がんばれるのだ。
人生を、使い切って死ぬ。武士道の潔さにも通じる気がする。
私には限りある時間を、がんばれ
と聞こえる。
私は、先輩のその言葉を聴いてから、
美容に対してそれまでより明らかにまじめに取り組むようになった。
人生を使い切れ!使い切れ!使い切れ!
今日も使い切ったので、歩いて帰ろう。(スロットは、奥が深い)
『人生を使い切れ』この言葉にドキッとした。
それはある先輩の開店祝いの言葉
『開店、ご愁傷様です。』を、思い出したからだ。
始めてしまったから、終わりが来る。
生まれたから、死ぬ。
与えられた時間に限りがあるからこそ、がんばれるのだ。
人生を、使い切って死ぬ。武士道の潔さにも通じる気がする。
私には限りある時間を、がんばれ
と聞こえる。
私は、先輩のその言葉を聴いてから、
美容に対してそれまでより明らかにまじめに取り組むようになった。
人生を使い切れ!使い切れ!使い切れ!
今日も使い切ったので、歩いて帰ろう。(スロットは、奥が深い)
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